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中野浩輔とは?初めて語る過去から現在まで

中野浩輔とは?初めて語る過去から現在まで



思秋期のこと

小学校の時は病弱で暗くて変わり者だった私も中学に入る頃には、病院通いはほとんど無くなっていて体もかなり元気になってゆきました。
小さな頃からサッカーを見るのが好きだった私は中学校に入るとサッカー部に入部するのが夢でした。
しかし私が入学した石井中には悲しい事にグラウンドが狭いためか?サッカー部はありませんでした。
体を鍛えた方がいいと言う父の薦めもあり、結局私は陸上部に入部しました。
団体競技は他の人の足を引っ張ることはあっても、個人競技なら個人の成績だけなので
例え自分の成績が悪くても他人に迷惑をかけることはないと思ったからです。
しかしこれは大きな間違いだと後から気が付きました。
 
ある時に「岡山県中学校駅伝大会」と言う大きな大会に出場しました。
これは陸上部での唯一の「団体戦」だったのです。
その駅伝大会には私たち陸上部以外に同じ石井中の「野球部」も参加していました。
顧問の先生から「同じ学校の野球部に負けると陸上部の恥だ!絶対負けるな!!」と発破をかけられた私たち陸上部のメンバーは誰もがあの結末は予想できませんでした。

第1走者の水川は奇跡の走りを見せて40チーム中、何と第1位で競技場に帰ってきました。そのすぐ後ろには野球部の走者が今にも抜きそうな勢いでで迫ってきていました。

第2走者の私は正直とてもあせりました。
駅伝は周りのランナーのスピードに合わせる駆け引きが必要なのですが、私は一番前を走らなければならなかったからです。
すぐ後ろの野球部のエースで女子にも人気の岡本君にもあせった私は前半からペース配分を全く考えない走りをみせて後半には案の定バテバテとなり多くの走者に次から次へと抜かれたのでした。

20人に抜かれた私の記録は当事岡山県下の駅伝大会でワースト記録となりました。
今でもその記録は塗り替えられていないと聞いています。

そのときから私は負けず嫌いとなりました。




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